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映画"Mississippi Burning"のうそ(1960年代)
この映画見ました? Mississippiの白人を含む3人の黒人運動家が行方不明になって、 ジーンハックマンとウィレムデフォーが演じるFBIによって原因追及された結果 、 その州のお偉いさんたちが捕まるって筋。
そのなかで南部とはどういうものだったのかとか描かれてるんだけど。ちょうど64年っていえば "Long Hot Summer"とよばれて、北部から公民権運動がさかんに行われてきてた頃で、人々も 人権問題に敏感だったのね。(Spike Leeの"Do the Right Thing"で暑い夏が描かれてたでしょ?) COREとかSNCCっていう黒人の公民権、平等を求める団体の活動も盛んで、 この映画で描かれてる青年達もその中の1グループだったの。
映画ではFBIのお手柄として終わってるけど、ホントはそんな美談じゃなかったらしい。実は、FBIは青年グループの車が発見されてからようやく動きだしたのよ。 その頃のFBIのフーヴァー長官は、保守的なジョンソン政権に習えの人だったよう。そして、そのFBIの重い腰をあげさせたのは、当時の司法長官だったあのRobert Kennedy・・・後のKennedy大統領なわけです。青年達の車が発見されてからやっと4ヶ月後に警察や牧師、保安官を含む21人の容疑者が捕まったんやけど、 結局州当局は彼ら容疑者を起訴しなかったのよね。南部の根強い人種差別文化と、アメリカのいいところで悪いところにもなる州制度が反映した事件だったんだろうね。
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Jan 13, 2008 Sun NAPPIE | Permalink
南部黒人学生の闘争 vol.4(1960年代)
また大きな事件が62年、Mississippiで起こった。それは1954年に最高裁での判決で勝ち取った、「公立高校での生徒の人種による隔離の禁止」は何だったんだ?って思わせる出来事。
54年の判決は黒人の地位向上を喜ばない南部白人の、黒人に対する嫌がらせや妨害を増やしてしまっていた。KKK団などの過激派は火薬やダイナマイトを黒人住居に投げたり、脅迫などの電話、意味のない暴行、経済的抑圧。
そしてその大きな事件はMississippi大学に入学しようとしたJames Meredithに降りかかった。最高裁の判決で勝利し、彼は入学許可を得たわけだが、Mississippi州知事が反対したんよ。そこで当時のKennedy政府は迅速な対応で、大学総長、学部部長などを訴え、最高裁にかけたのね。州知事は自分の身も逮捕されるおそれがあるから、一時は折れたんやって。Kennedy大統領は積極的にMeredithの入学のために州兵を集め、連邦軍を編成して配置したり、TVやradioで「法の下の平等」を訴えたりもしていた。
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Jan 13, 2008 Sun NAPPIE | Permalink
南部黒人学生の闘争 vol.3(1950年代〜1960年代)
完全共学実施を目指して、大規模なワシントン行進が前回の事件のあと2度に渡って行われた。1958年10月と1959年4月。きっとこの行進ってのは映画"Get on the Bus"の最後のほうの場面にあったようなものだったんやろな。1回目はCIO, AFLといった労働団体やNAACP(全国黒人向上協会:1909年に白人の呼びかけでできあがった団体で、役員にはW.E.B. Duboisがいた)、各地の学生約1万人、2回目は約2万人が参加してホワイトハウスを目指したが、結局Eisenhower大統領は不在で直訴ならず。ただ、成功に終わったとはいえなくても、これだけの群衆が動いたってことが黒人にとっては前進だっただろう。
しだいに、各地に黒人学生は増え、様々な人種差別反対運動に取り組む人々が増えた。 1960年にはNorth Carolinaで、4人の黒人学生が、食堂内での差別撤廃のために食堂で座り込み運動をしたの。黒人はカウンターでの立ち食いしか許されないってところも多かったらしい。でも彼らは勇気をもって、イスのある席でのserveを求めた。しかし結果は空しく、警察に捕まることに。
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Jan 13, 2008 Sun NAPPIE | Permalink
南部黒人学生の闘争 vol.2 (1950年代)
1954年に公立高校での分離教育の禁止が最高裁の判決で決まり、Alabama大学にLucy嬢が入学したのが56年。実はその3ヶ月前に、同じAlabama州のMontgomeryでRosa Parksの事件があったんやけど、様々な事件で黒人は意識を高めていき、団結力が生まれてきていた。 法的にも、次第に黒人が認められてきていた。
そんな彼らに刺激を受けてか、南部白人の団結も高まったようで、とりわけMississippiでは悪質なリンチが続発することとなる。「黒人」だというだけで、罪もない少年が殺される・・。法は改善されても、現実は厳しい。
Eisenhower 大統領が1957年9月に公民権法を成立。 中身は黒人の投票権を保障・・・黒人も陪審員になれるというもの。でもその数日前に、学生が絡んだ事件がArkansas州で起こっていた。場所はLittlerock高校。 その日は州初めての黒人の学生、9人の入学日。フォーバス知事は、暴動が起こるんじゃないかと心配してか、安全を考えて武装州兵で学校を包囲・・・したはずなのに、登校してきた黒人学生は「くろんぼは帰れ〜〜〜!!!」と罵声を浴びせられたり、腕をつかまれたり。実は、フォーバス知事、9人の黒人学生を追い返すために、州兵を配置していたんだって!
やむなく黒人学生達は家路へ。
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Jan 13, 2008 Sun NAPPIE | Permalink
南部黒人学生の闘争 vol.1(1950年代)
1954年、アメリカ最高裁の判決で公立高校での分離教育の禁止が決まる。この判決は、黒人にとってまた一つ自由を勝ち取れた・・・かのようにみえたんやけど、実際は各州の良識に任されることに。結局、差別意識の強い南部では、白人達のさらなる攻撃が・・・。
まずは56年にAlabama大学の入学が決まった、Autherine Lucyという女の子に、攻撃が降りかかる。
入学前に、NAACP(1909年に創設された全国黒人向上協会のこと)の協力を得て法廷で争って、やっと入学を勝ち取ることができたのに、いざ入学となると寮にも入れない、食堂も入れない・・・80kmも離れたBirminghamから毎日自動車で通わなければならなくなった。
第1日目は授業は無事受けることができたみたいやねんけど、その夜。学長宅にKKKが・・・「大学に黒人をいれるな!!」。家の前には燃やされた十字架(これがKKKの仕業だというしるし)。翌日から騒ぎはもっとひどくなって、Lucyの登校を阻止しようと、乗ってる自動車がひっくりがえされたり、約500人もの学生が車に石を投げつけたり。 警官の護衛付きでやっと家へ帰ることができたようだ。結局、入学3日後に、彼女の安全と学内の秩序のためにLucyの登校は当分の間、禁止されてしまう。
もちろん、学生の間にはLucyの味方もいて、約200人の生徒が彼女の復学を求める陳情書にサインをしたようなんだけど、チカラの全ては白人社会の州議会にあるわけだから、なんともならないわけで・・・でもLucyはこれに負けず、通学停止命令を不当とした裁判を起こし、再入学を認めてもらえたのね。
もちろんこの事件だけではなく、南部各地でこれに似た事件は続いて起こってたみたい。
そして、1957年にEisenhower大統領が黒人投票権保護を目的とした、新公民権法を成立することとなる。
Jan 13, 2008 Sun NAPPIE | Permalink
bus boycott事件
"Rosa Parks事件"が発端となった出来事。peopleのページの"Rosa Parks"へ。
事件の後、同じAlabama州のMontgomeryでは、どうにかして抗議しようという声が高まっていた。それで浮かんだ策が「bus boycott」・・・Montgomeryでのバスの利用者の60%が黒人だったから。若き日のMartin Luther King、Rosa Parks含め立ち上がった。 でもバスを使わないとなると、他の交通手段を考えなきゃいけない。電車も通ってない環境だし、車のない家庭も多い。 そこで車所有者が車を提供し、乗り場を決めてみんなで乗り合って、バスに変わるシステムを作った。
もちろん全てが上手くいくわけがない。ボイコット指導者達の家にはダイナマイトがしかけられたり、 交通法規違反って名目で逮捕されたり・・・皆が「大丈夫だろうか」と思いながらだっただろう。
結局、バス利用者の黒人90%が賛同したんで大成功!
このboycottは1956年に最高裁で「交通機関の人種差別 は違法」と判決がでるまで1年間続けられたそう。このMontgomeryでのboycottの前にも似たようなことが他の地方であったようだけど、こんなに長く続いて、しかも影響を与えることができたのはこれが最初だったみたいやね。
アメリカでは昔から州に自治権があったので、北部と南部では黒人に対する差別の度合いが違うのはもちろん、余程のことがないと州の法規を変えたりするのは難しかった。でもそれに立ち向かおうと、この頃からさらなるCivil Right Movement(公民権運動)の高まりが黒人達の中に芽生えていった。
映画だったら、ウーピーがでてる"THE LONG WALK HOME"でこのbus boycottの様子が垣間見れます。
Jan 13, 2008 Sun NAPPIE | Permalink
Rosa Parks(1913〜2005)
Outkastのalbum、"Aquemini"の中の1曲、"Rosa Parks"は彼女の名前から。その彼女はどういう人だったのか?
まだ南部ではsegrigation("Jim Crow"ともいう"人種差別"のこと)があった頃の アラバマ州での出来事。1955年。バスは公共機関だから、当たり前に"colored"と"whites"で座る場所が違った。 待ち合い室も柵でくぎられてて、バスの中は白人が前で黒人が後ろ。
ある日、Parksはバスに乗り、白人の席のすぐ後ろに座っていたらしいんだけど、 白人席がいっぱいになったので、運転手がParksに「後で乗り込んできた白人のために席を譲るように」と命令したらしい。彼女はその指示に従わなかったために逮捕されることになってしまった。きっとそこは黒人席だったはずなのに・・・。
この事件が引き金となって、大規模なバスボイコット事件へと発展したのよね。彼女の行動に勇気づけられた人、それでやっと目がさめて人間としての自我が目覚めた人。彼女はそれだけ大きな影響を与えた・・・この先の出来事を可能にする発端となった人。バスボイコットには、若く、まだこの土地に来て間もない、あのMartin Luther Kingが指揮をとることに。その様子は映画の"Boycott"で描かれています。
(Outkastの曲ではParksの行動をrespectしながら 自分達自身のappealの曲にしてるんよね。手拍子が心地いい、元気が出てくる曲になっとります。でもこの曲、Rosaさんが訴えちゃったりなんかして、一悶着ありましたな。)
Jan 12, 2008 Sat NAPPIE | Permalink
Harriet Tubman(1820?〜1913)
Rah Diggaのalbumのtitle"Dirty Harriet"、そして1曲目の"Harriet Thugman"を見て、 「を!」って思ったんはあたしだけじゃないはず。
南北戦争前のアメリカの歴史を勉強した人はしってるんじゃないかな、Harriet Tubmanを。
ちょうど時期はNat Turnerと同じくらいの1800年代のこと。
この頃は奴隷州(南部)と自由州(北部)がメイソン・ディクスン線とオハイオ川で区切られていた。川を越えて自由州にさえ入れば、南部奴隷も自由の身。なので、南部から北部へ逃亡しようとする南部奴隷も増えていた。
でも、北部に入ったからといって安心できなかった。見つかったら、連れ戻されるか、刑務所に入れられて所有者が見つからなければ競売にかけられる。そこで、どうやったら南部奴隷が安全に自由州へ逃亡できるかと、北部黒人は考えた。そこで生まれたのが「地下鉄組織」。
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Jan 12, 2008 Sat NAPPIE | Permalink
Nat Turner(19世紀頃)
1800年代前半って南北戦争前で、わかりやすくいったら、映画"Gone With the Wind(風と共にさりぬ)"の情景。南部ではタバコ栽培はいきずまってきたんだけど、それに変わってイギリスでの産業革命の影響をうけて綿花の栽培が盛んになってきたのね。そうなると広大なプランテーションでの労働力は黒人奴隷にたよる・・・ってことになる。ただ、これは南部での話。ミズーリ協定で自由州と奴隷州が完璧に緯度で分けられてたので、南部では「奴隷」である黒人も、北部へ入れば「自由」という時代になった。
そりゃ、「自由」を求め、北部へ逃亡しよう!という奴隷は増えます。しかもHaitiで革命が起こったりしたのもあって、奴隷は白人に対して反抗心を持つようになってきてたよう。
このNat Turnerって人は南部(Virginia)の奴隷だったんやけど、宗教心が強く、「俺は奴隷解放のために産まれてきたんだ!」なんて思ってたらしい。当時の奴隷の生活ってのは「アンクル・トムの小屋」って本にも描かれているように、休む間もなく働かされ、自由もない。寝るのはベッドじゃなくって、草のうえ。そんな生活からの解放を望んで、誰もが自由州への逃亡を夢見る。
彼自身も1度は逃亡に成功したそうだけど、正義感が強く、自分だけ自由になるのはどうか?と、再び家主のもとに舞い戻ったんやって。そして、ある日彼に天からのお告げが・・・「束縛を解き放ち、悪魔に対して勇敢に戦え!」って。これが彼を導いて、暴動へと発展。奴隷をもつ白人家庭だけを襲撃した。軍隊がこの反乱を鎮めたみたいやねんけど、白人も女・子供 含め60人くらいの死者がでて、軍隊はこの反乱を沈めるために120人もの黒人奴隷を殺したらしい。
そして、Natは絞首刑。
数ある中で、この事件が奴隷暴動最大の出来事らしいねんけど、このころの暴動って考えるより力ずくなんよね。 今その頃の暴動内容を見ると、たいした暴動ちゃうやん?と感じるかもしれへんけど、 奴隷って家主に絶対服従があたりまえの時代だったし、少しでも家主の意志にそむいたら鞭がとび、 血を流し・・・だったから、 暴動を起こすって、決死の覚悟がいっただろうね。 しかも成功する確率は低かっただろう・・・
お金なんて持ってないだろうし、広い綿畑、トウモロコシ畑をただひたすら走って逃げるんだよ。川を越えなきゃならないし。
Natは暴力的な反抗にでたわけなんやけど、彼とは違い、もうちょい頭を使って自由を求めていったのがFrederick DouglassとHarriet Tubman。
【アンクルトムの小屋を洋書で】
Uncle Tom's Cabin @ amazon
【こんな著書も】
Nat Turner's Slave Rebellion in American History (In American History) @ amazon
Jan 11, 2008 Fri NAPPIE | Permalink
奴隷制の広がり(18世紀)
といっても最初はキューバで奴隷を購入(?)していたのね。まぁ、どこからであれ、奴隷を購入して南部のプランターへ売るのは北部の貿易商なわけで。北部貿易商から南部プランターへの奴隷売買の図式はこのころからもう、つくられていた模様。そして、黒人奴隷の数は1710〜20年代で6〜8万人だったのが、1790年代にはその10倍くらいに。その90%くらいは南部。
ただ、このころ黒人奴隷を広めていったのは北部といってもいいかもしれないねん。
その理由のひとつは、ビジネス方法。北部の冬は寒くて長いから、できる仕事は限られてるし、沢山の労働力は必要なく、白人の労働者で十分。もちろん黒人奴隷もいたんだけど、南部に比べては酷使されていなかったみたい。一方南部では、プランテーションの労働力として必要不可欠な存在やったわけやね。(南部奴隷の中にも種類があって、一番酷使されるのが、農業労働者。大工やメイドは比較的マシな扱いだった。)そう、北部のビジネスとしては、黒人奴隷を「労働力」として使うより南部へ売る為の「商品」として扱うほうが、理にかなっていたということ。
もう一つの理由は、奴隷制度を先に合法化したのは、北部の方だったということ。(1641 年マサチューセッツが最初)。奴隷制度をビジネスにするためにはそれが合法でないとダメだもんね。しかも、北部には貿易船や奴隷船がつく港があったから、奴隷貿易の中心になりやすかっただろう。
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Jan 10, 2008 Thu NAPPIE | Permalink
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